保育士なのに、自分の子どもに余裕がない日

家庭について

子どもの気持ちを受け止めることが、仕事だ。

泣いている理由を探し、

まだおぼつかない言葉で

うまく言葉にならない思いを汲み取り、

「大丈夫だよ」「痛かったね」「嫌だったね」と伝える。

それなのに。

家に帰ると、

自分の子どもに余裕がなくなる日がある。

「ちょっと待って」

「今それ言わないで」「後ででもいい?」

「早くして」

言ったあとで、胸がざわつく。

保育士なのに。

子どもの気持ちを大切にしているはずなのに。

どうして私は、家ではうまくできないんだろう。

でも、少し立ち止まって考える。

それは、本当に私の問題なんだろうか。

保育の現場は、仕事だ。

時間が区切られている。

チームがいる。

役割がある。

休憩もある。

でも家庭は違う。

終わりがない。

常に自分が中心にいる。

代わりはいない。

「母親」は、シフト制じゃない。

さらに言えば、

保育では

“子どもを最優先にする大人”であることが求められる。

家庭でも

“子どもを最優先にする母親”であることが、

当たり前のように期待される。

仕事でも、家でも。

ずっと、最優先は自分では無いことが当たり前、を続ける構造。

それで余裕がなくならない方が、難しい。

私は、子どもが大事じゃないわけじゃない。

むしろ大事だからこそ、

余裕のない自分に落ち込む。

でも最近思う。

優しさは、気合いで生まれるものじゃない。

余裕から生まれるものだ。

だから私は、

「もっと頑張ろう」と自分を追い込むより、

「余裕をつくる方法」を考えたい。

時間の余裕。

気持ちの余裕。

そして、選択肢の余裕。

保育士なのに、じゃない。

保育士だからこそ、

この構造に気づいてしまう。

私は、自分の子どもに

“理想の母”でいるためではなく、

余裕のある大人でいるために、

選択肢を取りにいく。

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